なだらか
時間はあらゆるものを淘汰していく。この世に存在する事象は全てなだらかになっていくしかない。誰もその力に抗うことはできない。
昨日の夕御飯は思い出せても、一月前の朝御飯は思い出せない。それと同じこと。
しかし、人は抗おうとする。
小さな波を起こし、なだらかになろうとする時間に軛をかける。
暗黙の了解となっている事項を問題として掲げ、法律として明文化したり。
見た目はそっくりだけど資材は殆ど当時のものを捨て去ったことによって完成された新たな建築物に満足してみたり。
マンネリだったカップルが小さな喧嘩をきっかけに恋を再燃させたり。
そういうことを繰り返す。
でも死者は
波を起こせない。
死者をとりまく事項はなだらかになっていく。
遺された者が抗おうとすることもある。しかし、その元となる記憶も時間の淘汰を受けるので、そのイメージは海に流される水墨画のように、徐々に徐々に輪郭がぼんやりとしていく。
今日は昨日から一日遠ざかった。
こうしてなだらかに、少しずつ遠くなっていく。
せせらぎを聞きながら
川沿いの腰掛けで時を過ごす人がいる。
コンビニの袋を持った会社員、ノートパソコンを操るジャンクフードが好きそうな男、煙草を吸う髪の明るい女、iPhoneからイヤフォンへ伝う音楽に耳を傾けるジャージ姿のティーンエイジャー。
そういう人がいれかわりたちかわり、日によっていたりいなかったりする。
川といっても、鴨川みたいに情緒あふれる場所じゃない。暴れ川を押さえ込むために人間が建てた、刑務所みたいな護岸がそびえたつ。川はその間をちょろちょろと流れている。枯れかけの岩清水みたい。
そんな川でも、夜になって街の音が消えれば、せせらぎの音が聞こえてくる。
腰掛けに座っているのは、それを知っている人。
今日は月が出ている。薄ら雲が隠しているが満月だ。
腰掛けに座っているのは、電話で話し込む女。明るい声で矢継ぎ早に会話を繰り出し高らかに笑う。少しも間なんて作らない。
私はこの道を通るときに、腰掛けに座っている人がちょっと羨ましくなる。情緒があふれていやしないか。でも自分が座りたいとは思わない。道行く人みんなに見られて晒しものみたい。
あの人たちは恥ずかしくないの?
ううん、せせらぎに隣りにいて欲しいだけ。
電話を切った後、どこにいるかが肝心だった。
自分の部屋だと、部屋にいることもつらくなる。
繁華街じゃ、雑踏が自分の濃度も下げてしまいそう。
それじゃ困る。もしも、これが最後の電話になったとしても、三年後あなたの記憶にまだ私が残っているように意味を置いていきたい。
もしもあの腰掛けに私が座るときがあるとしたら、そんなとき。
大丈夫、あなたのことじゃないんだ。
腰掛けに座って今も電話に話しかけている女から私は遠ざかっていく。
あなたの明るい話し声に表裏なんてあるわけない。あなたは突然かかってきた友人からの電話についつい熱が上がり、腰掛けが必要になっただけ。
そう願いながら、通り過ぎる。
せせらぎの音が聞こえなくなるまで5秒もかからない。
近道を探す
スーパーマーケットに行くまでの最短経路がわからない。川のせいだ。うねうねとカーブを描く舗装路が方向感覚を麻痺させる。
付き合わされるのはごめんだ。私は川の裏のまっすぐな道を歩いていた。毎日、毎日。たった二回、曲がり角を曲がるだけ。
強欲な人間なので、やがてそれでも満足がいかなくなった。
スーパーマーケットまでの道のりは直角に二度曲がるよりも斜辺をひたすら行くほうが近いはずだ。三平方じゃない定理によって。
私は近道を探すことにした。
川を越えたら、スーパーマーケットの位置を野生の嗅覚で感じ取りながら適切な場所で適度に曲がり角を曲がる。そうすれば目の前にスーパーマーケットが現れるはずだ。
(この辺りか)
曲がった先の道はまっすぐではなかった。緩やかなカーブ。川沿いの道だけが曲がっているわけではなかったのだ。方向感覚のずれが頭の中で修正できない角度になってくる。まずい。もしかしたら、いつもよりももっと遠回りをしているかもしれない。
五十歩も歩けば知らない道の終端で、辻向かいに見慣れた黒い石垣が現れた。え、と声が出そうになる。いつもスーパーマーケットへ行く道の途中でも見かける石垣だ。ただし、その出番はもっと後のほう。毎日、まっすぐ歩いていたと思っていた道は、かなり遠回りだったのだ。
私はうれしくなって、スーパーマーケットの帰り道、またその近道を歩こうとした。
けれど、私は曲がる道を間違えたようだ。さっきの道とは別の道に出た。老人ホームの窓から柔らかい灯りがぽつりぽつりと灯っている。それでもいつもと比べたらずっと早く家まで着いた。なんだ、こんなに早く行ける道があったんじゃないか。次からはもうまっすぐな道なんて歩かない。決意がほくほくとはずんだ。
今日は昼間の買い物だ。この前よりもずっと早くスーパーマーケットに行けるだろう。
私はこの前と同じ橋を渡り、同じ曲り道を曲がったはずだった。たくさんの植木鉢が玄関への階段を埋めていた。ミニバラ、ラナンキュラス、マーガレットにポーチュラカ。
どうやら道を間違えたらしいことは、スーパーマーケットまでかなりの時間を要したことで気が付いた。
【迷子電話相談室】透明になりたいです
※「迷子電話相談室」は電話をなくした迷子のための電話相談室です。相談室開設以来、ここには一度も電話がかかってきたことがありません。そこで、当相談室では「きっと、こういう悩みを相談したかったに違いない」と想像し、電話をなくした迷子たちの相談を毎週火曜日の夜に公開することにしました。(内容は個人が特定できないように変更しています。)
動物園のペンギンです。
毎日、いろんな人間が僕を見にやってきます。それにバカ正直に応えているやつもいるけど、僕は正直めんどうくさいです。
ひとりになりたいな、と最近はよく思います。
でも、たとえひとりになっても、人間は見に来るんだろうな。
そう思うとちょっと絶望的になって、いっそ透明になりたいとも思います。
オバケになったら楽しい? 誰も僕を見ないし。
そこのところ、どうですか、オバケの意見を聞きたいです。
オバケはどんなときにうれしいと思うのか教えてください。
【迷子電話相談室】がんばれと周りがうるさいです
※「迷子電話相談室」は電話をなくした迷子のための電話相談室です。相談室開設以来、ここには一度も電話がかかってきたことがありません。そこで、当相談室では「きっと、こういう悩みを相談したかったに違いない」と想像し、電話をなくした迷子たちの相談を毎週火曜日の夜に公開することにしました。(内容は個人が特定できないように変更しています。)
5月ですね。
対策だか何だか知らないけど、周りの南国みたいな生あたたかな優しさや励ましが息苦しいです。
あの優しさが僕にとっては地獄です。
アロハな励ましよりもゲーセン行って太鼓叩いているほうがよっぽどすっきりするんだけど、それじゃだめなの?
2015/04/19 第一回文学フリマ金沢にお越しいただきありがとうございました
レポートが遅くなってしまいましたが、第一回文学フリマ金沢に参加したときのこと。
私は新刊『廃屋』、既刊『コトダマミクジ 平成二十六年 完全版』、『野原X』、『オールフィッシュエクスプレス』持参で向かいました。
新刊はここ数年で書いた、一番作品らしい作品だったのですが、購入にいたる方なし。
テーマが「死による喪失」だから、お涙ちょうだい系の作品に思われてしまった感がありました。
実際に書いているのは死ぬ瞬間でなくて、死んだ後の葛藤だったんですが、そこが伝わらなかったのも敗因の一つです。次回は帯をつけて、その点についてはもう少し伝わるようにしなければ。
受けが悪くても、これは書かなきゃいけないことだったので、結果はじたばたせずに受け入れるつもりです。
今回も一番売れたのは『コトダマミクジ 平成二十六年 完全版』でした。
でも、東京会場のときにはよくご購入いただいた、占いに詳しい人や占いやってほしい!という強い意思を感じる人は少なかった印象。
私は大阪文学フリマの第一回にも参加しているので、これで東京・大阪・金沢と三つの都市で開催された文学フリマを巡ったことになります。
そして、思っていた以上に地方によって特色がでることを今回実感しました。
売れる本の傾向も変わってくるんだろうなぁ・・・。
短い時間で気になったブースを足早に周り、以下の本を購入しました。
・「増補改訂版ヴィイ調査ノート――ウクライナ・ロシア妖怪茶話」麻野嘉史
・「旅人よ立ち止まれ」風野湊
・「青と茜と砂漠の国」風野湊
・「コーヒー戦隊 豆レンジャー」浮草堂 美奈
・「よるべのない物語」キダサユリ
…ちょっと6月まで所用があり、読んだ感想はしばらくお預けになってしまいそう。ごめんなさい。
おもしろかった本の感想は、ご本人にメール等でお伝えできればいいなと思っています。
終わった後の交流会では人とコミュニケーションする気力があまり残っておらず(……なぜ参加した……)優しい方々に話しかけていただいたおかげで楽しく過ごせました。
「三角パズル」の作者・鍵本聡さんからパズルの解き方も教わりました。
パズル好きにはたまらない内容でした。
最後になりましたが、たくさんのブースの中から当ブースにお越しいただきありがとうございました。
金沢はすごく好きな観光地で、また行きたい行きたいと思っていた場所。
以前訪れたときは、私が金沢からたくさんの心動かす刺激をもらいました。
今回の文学フリマ参加で、私が金沢の方の心をほんの少しでも動かせていたらうれしいです。
私はプラスの意見もマイナスの意見も受け入れられるタイプの人なので、もしよかったら作品の感想も教えてくださいね。
……マ○オペイント、懐かしかったなぁ。
【迷子電話相談室】やらなきゃいけないことができません
※「迷子電話相談室」は電話をなくした迷子のための電話相談室です。相談室開設以来、ここには一度も電話がかかってきたことがありません。そこで、当相談室では「きっと、こういう悩みを相談したかったに違いない」と想像し、電話をなくした迷子たちの相談を毎週火曜日の夜に公開することにしました。(内容は個人が特定できないように変更しています。)
夢見るマネキンです。
本当は店頭に立ってコマーシャルしなければならないんですが、どうもそれができなくて。
最近はモーニングコールに応えることもできません。それで困っています。
夢の中にずっといられたらいいのにって思うんですよね。
私、その中なら自由に動けるんです。ずっと立ちっぱなしなんかじゃなくて、踊ることだってできる。ドレスだって着れる。
だってね、夢の世界では青い手の男の人が私を助けてくれるんです。
あの人たちがいれば、私なんでもできちゃうの。
でも、現実に戻ればまた全然動けない。
ドレスも着られない。
冴えない顔の私がいるだけ。
こんな私が許せないから、モーニングコールのベルがいっそう疎ましくなる。
あの青い手の男の人が現実にもいてくれたらな。
あれはいったい誰なんだろう? どうして私の夢の中で、私を助けてくれるの?
ああ、またモーニングコールだ。もう夢の世界にはいられない。
電話に出なくっちゃ。