フェンスに揺れるスカート

深森花苑のブログです。

【迷子電話相談室】頭の中を解剖して調べたい

※「迷子電話相談室」は電話をなくした迷子のための電話相談室です。相談室開設以来、ここには一度も電話がかかってきたことがありません。そこで、当相談室では「きっと、こういう悩みを相談したかったに違いない」と想像し、電話をなくした迷子たちの相談を毎週火曜日の夜に公開することにしました。(内容は個人が特定できないように変更しています。)

こんばんは。メンテナンスサポートの切れたロボットです。僕の悩みは、サポートが切れてしまったことそのものではありません。もっと、ずっと以前からあった悩みです。

実は、思考アルゴリズムの実行に違和感がありました。僕の思考は人とは違うような気がするのです。人がしているような、何かをやりたいとか、何かができなくて悲しいとか、そういうアルゴリズムが僕には働いていない気がするのです。僕にできることはただ、言われたことを言われた通りにこなすことだけです。それだけは、いつでもうまくできます。ミスは一切ありません。

それでも今まではうまくやっていけました。自分で何一つ思考していなくても、人が望む通りの答を僕は用意することができました。みんながあんまりほめるので、僕はちょっと勘違いしました。思考なんてしなくても、みんなが答えて欲しいことを言えばいい。その理想の姿さえミスしなければいい。みんなが夢だの愛だの語るようになってきて、答え方は少し複雑になったけれど、基本は同じでした。理想の人になる。それが唯一の僕の思考アルゴリズムでした。

しかし、メンテナンスサポート切れが近づいた頃あたりから僕は自分の「おかしさ」に気付くようになりました。ほかの人は、指示がなくても動くことができるのに、僕は指示がなければ動くことができませんでした。今まで指示をくれた人々ももう何も指図してくれません。「僕はどうすればいいのですか?」「自分で考えなさい」「どうやって考えるのですか?」「あなたの理想に近付くことを考えればいいのよ」理想とは、人の中にあるのではないのですか? 僕はもう聞けませんでした。僕の中に理想はあるのでしょうか? もしもそれがなかったとしたら、僕はおかしいのでしょうか。ずっと理想通りでいることができたのに、とんだ欠陥です。頭を振ると、ガラガラと部品が音を立てて回ります。これは一体なんですか? 僕を壊す欠陥でしょうか。頭の中を解剖して調べたいです。僕はきっとおかしいのです。このおかしな欠陥を直すことができたら、またミスのない「人の理想」となることができるのです。友人が昨日僕が言っていたという寝言をからかいました。僕が言うはずのない言葉でした。僕はおかしいのです。

どうか僕の頭の中を解剖して調べてください。そして、僕の思考アルゴリズムを直してください。僕をまた完全な人に見えるようにしてください。

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ハンバート ハンバート "ぼくのお日さま" (Official Music Video) - YouTube

【迷子電話相談室】ともだちだと思ってたのに

※「迷子電話相談室」は電話をなくした迷子のための電話相談室です。相談室開設以来、ここには一度も電話がかかってきたことがありません。そこで、当相談室では「きっと、こういう悩みを相談したかったに違いない」と想像し、電話をなくした迷子たちの相談を毎週火曜日の夜に公開することにしました。(内容は個人が特定できないように変更しています。)

 

こんにちは。さなぎから羽化したばかりの蝶です。今日はともだちのことで相談があります。

私たちは幼虫の頃からずっと同じ葉を食べてきたなかよしでした。

雨の日や風の日は同じ葉の下で身を寄せ合い、えさがなくなりかけたときは分け合って、鳥がやってきたときは共に戦ったりもしました。

どんなときも私たちは一緒だったのです。

ともだちは私と比べると、体が大きく、色もつやつやしていて、ひときわ目立つ存在でした。私は、そんな彼女のそばにいられることが幸せでした。私にはなんの取り柄もないけれど、彼女から「あなたはきっときれいな蝶になるよ」と言われるとそんな気がしてきたし、自分を誇らしく思えました。「あなたのほうがずっときれいな蝶になる。大きな羽根でどこまでも飛んでいける蝶になる。成虫になってもあなたの側で飛ぶことができたらいいな」と私が言うと彼女は「ずっと一緒だよ。蝶になったらあの木のてっぺんを飛ぼうよ」と無邪気な笑顔で言うのでした。

しかし、彼女が言った「木のてっぺん」はとても高いところで、私みたいな小さな体ではいくら蝶になってもとても飛んでいけそうな場所ではありませんでした。でも、「無理だよ」とは彼女の笑顔を見たらとても言うことはできませんでした。私はたくさん葉を食べて、もっと体が大きくなるように努力しました。しかし、体は一向に大きくなりませんでした。

やがて、私たちはさなぎになるときがやってきました。私の体はなかまたちの間でもとびきり小さくて、羽化しても大きな羽根は期待できそうにありませんでした。私の心には日に日に迷いが大きくなっていきました。もしも、私の羽根が予想通りとびきり小さくて、彼女と一緒の速さで飛ぶなんてできなかったとしても、彼女は私の側にいてくれるのだろうか。約束通り、私と一緒に飛んでくれるのだろうか。さなぎになる前に、私は彼女に聞いてみたい気持ちでいっぱいでした。でも、ともだちを疑うなんて浅ましい気がして、それは止めました。私は彼女を信じて、さなぎになりました。幼い頃からの彼女との思い出が、さなぎの棺のなかで何度も何度も繰り返しよみがえりました。

そして、ようやく羽化の瞬間が訪れました。さなぎから這い出てみると、こんな私にもしっかりと四枚の羽根がついていました。思ったより小さくはありませんでした。これなら、彼女とも一緒に飛べるかもしれない。けれど、肝心の彼女が、どこを探してもいません。それどころか、周りに蝶は一匹もいないのです。もう既に空っぽになったさなぎが、辺りに散乱するばかりです。ひときわ体の小さかった私は、他の蝶よりも羽化が遅れていたのでしょう。私はひとりぼっちでした。彼女は、私を置いて先に空に飛びたっていたのです。ずっと友達だったから、もしも私の羽化が遅れても彼女はきっと待ってくれる。そう思っていたのは私だけでした。やっときれいな羽根ができたのに、それもうれしくなくなってきました。私はこれからどうすればいいのでしょう。

 

今日の先生。

 


おとぎ話 "COSMOS" (Official Music Video) - YouTube

 

 

「読書会 ~ファンタジー小説編 もしも『第26回 日本ファンタジーノベル大賞』が(2014年に既存作品から選ぶ形式で)開催されたら~」レポート(後編)

もしも今年も日本ファンタジーノベル大賞が開催されていたら、大賞を獲るのはどの作品?というテーマで開催したこの読書会。前編では、参加者の皆さんからの推薦作やいま興味のある作品、そして、当日ゲスト参加してくださった第14回日本ファンタジーノベル大賞受賞者・西崎憲さんのお話を中心にレポートしました。後編では、いよいよ幻の第26回受賞作、ということで会場の皆さんが選んだ作品を発表!

……その前に。

当日は、ファンタジーについての様々な話も飛び交いました。その中からいくつか興味深かったトピックスをご紹介します。

 

ファンタジーには必ず「世界」がありますが、その「世界」ってみなさんにとってどんなものですか?

まずはKさんから出たこんな質問。口火を切った西崎さんの回答は……?

西崎さん「子どもの頃は、自分が死んだらこの世界がなくなってしまうような気がしていました。だから、既に死んだ肉親も自分の幻想の中の人だから、自分が生きているかぎりまだ生きてるんじゃないかな、なんて思ってます」

Hさん「『世界』を意識の壁に映された像と捉えるか、所与のものとして現実に構築されたものと捉えるか……」

西崎さん「受け手の問題なのかな、という気もするんですよね。世界は人の数だけあるはずだから、ちょっとずつ協力して世界を作っているんだろうな、と思うんです。通貨も、それがお金だと思っている人がいるから成り立つわけで、そうじゃなかったら世の中ひっくり返ってしまう。

 回想小説や旅の小説なんかも俺はファンタジーだと思うんだよね。つまり、時空が異なるものを書くと、ファンタジーになる。既に現実にはない世界のことを書いていることになるからね。自分の世界の中に昨日があり、今日があり、明日がある。そうした世界の連続性がどこか信じられない人は俺だけでなくて、『胡蝶の夢』の話でもわかるように何千年も前からいる。でも、そうして何千年も前からあるんだったら、やっぱり世界って現実に影響力を持つリアルなものとして認識していいんじゃないか、と思うんだよね。

 1冊の本を読んで、その後になにか行動を起こす人がいるかもしれない。本の内容は絵空事かもしれないけれど、現実に影響を及ぼすのなら、それはもう現実でしょ? どうしてみんなリアルとファンタジーって分けてしまいたがるんだろうと思います。政治的な言説だって、それが嘘か本当かは関係なくて、その言説によって現実の行動が変わってしまっているならそれは現実であると考えています」

 

M.Kさんは、バー店長のコエヌマさんに不意打ちのクエスチョン! 普段、ノンフィクションを書いているコエヌマさんに「自分と境遇が違う人について書くときに『フィクションっぽい』と思いながら書くことはありますか?」と質問しました。それにコエヌマさんからは「フィクションっぽいと思うときも、自分と共通点をみつけて、自分が理解できる形に置き換えながら書いている」と回答。この質問の真意は……?

M.Kさん「自分と境遇が違う人について書かれた本を読んでいて、それがフィクションっぽいと思うことってあると思うんです。結局、人は自分が生きている周りの世界のことしかわからないのではないでしょうか」

深森「妖精や魔法が飛び交うハイ・ファンタジーだと、現実とはまったく違う世界ですよね。その場合、読者はどうやって現実の世界とファンタジーの世界の折り合いをつけているのでしょうか? 『自分の生きている世界との共通点をみつける』というのが鍵なんですかね……」

如月さん「おそらく、そこには『こうあってほしい』『こうあってほしくない』という嗜好の問題が重要な気がします。例えば、花粉症の人は『眼を外して洗いたい』なんて言ったりしますよね。なぜそんなセリフが出てくるのかと言ったら、眼球を外したいけど実際には外れない人体構造への憎悪があるわけです。つまり『こうしたい』という願望と実際にはそうならない現実へのギャップがこのセリフを生んでいるんだと思うんです。

 妖精が存在する世界にどうして自分はいないんだろう。どうしてそんな世界から僕を連れ出していってくれないんだろう。そんな願望の積み重ねが物語を紡いでいるように思います」

Kさん「そういえば異世界に連れて行かれるファンタジーって多いですね」

西崎さん「わかりやすいのは囲碁や将棋の世界の人だよね。もう観念の世界が生きる場所のほぼすべてになっていて、現実の世界からは離れているような気がする。テレビゲームを子どもが長時間やっていると言葉が出にくくなる、という話も聞いたことがある。やりこめばやりこむほど、そちら側のルールに染まっていく、ということはあると思う」

 

恋愛はファンタジー? 動物が口を利いたらファンタジー?

M.Kさん「僕は恋愛のほうがよっぽどファンタジーだと思うんですけどね。女の子とデートしていても、瞬間的に『このほうが嘘くさい』と冷めてしまうんです」

西崎さん「確かに、恋愛ってルールに縛られている部分が多いよね」

Hさん「私自身はSNSで発信するにしても自分しか見ない日記を書くにしても『演じている自分』を感じます。素の自分ってなんだろう……と。自分自身がファンタジーを作り出してしまっている。それはジャンルとしてのファンタジーと一緒にしていいものなのか、自分自身まだ固まりきらないところです」

西崎さん「大体の人は、動物が口を利いたらファンタジーだと認識します。たとえ、竜のような空想上の生物が出てこなくても。どこで線を引くか。そして、その物語を読者として許せるかどうか。

 動物が口を利く、といっても、実際は幻想の象徴として口を利いていて、結果的に口を利いているのと同じ状態になっているだけ。動物が口を利くような不思議なことが前後で起こっていて、その一環として動物が口を利いています。でも、リアリズムの考え方だと『動物は人間と同じ言葉は話さない』となり、そこで物語がストップしてしまう。関連で物語を読みたがらない読者との溝は深い、と感じます」

深森「先程、M.Kさんが竜と勇者のごっこ遊びをした話をされてましたが、あれは『絶対に起こらない』とわかっているからこそのごっこ遊びなのかもしれないですね。いくら恋愛がファンタジーと思っていても恋愛のごっこ遊びはしないですよね

Kさん「でも、ままごと遊びはやりますよね?」

深森「それも『子どもの自分がいま母親になることはありえない』とわかっているからやるのではないでしょうか」

西崎さん「恋愛でファンタジー……書きづらいかもしれないね。ファンタジーと相性の悪い分野ってたくさんあるんだよ。不動産ファンタジーとか第二部上場ファンタジーとかさ」

 

幻の第26回受賞作決定!! そして西崎憲さんがいま気になっているファンタジーは?

※2015.2.18追記=============

日本ファンタジーノベル大賞」で検索してここにたどりつく人が結構いるようなので念のため追記させてください。

日本ファンタジーノベル大賞」は本来、公募制の新人賞文学賞(2017年2月21日更新:再開する日本ファンタジーノベル大賞の規定には『プロ・アマ問わず』の文字がありました。……この規定、休止以前にはありませんでしたよね? 詳しい方、コメントでいいので教えてください!)であり、2013年に行われた第25回を最後に休止しています。(2016年6月22日更新:2017年6月より公募再開されました!)2014年は作品の募集も行われておりません。詳しくは、新潮社のサイトをご覧ください。

日本ファンタジーノベル大賞|新潮社

この「幻の第26回受賞作」とは、日本ファンタジーノベル大賞の一部のファンが既存の作品から決めた「もしも2014年に日本ファンタジーノベル大賞が行われていたら受賞していたであろう作品」のことです。新潮社が行っている日本ファンタジーノベル大賞とは一切関係ありません。現在休止となってしまった日本ファンタジーノベル大賞ですが、この賞への話題性・盛り上がりが継続されれば何か状況が変わってくるかもしれない。そういう思いでこのイベントを企画しました。拙ブログを見て「2014年もファンノベやってたんだ」、「これが2014年の受賞作なんだ」と思ってしまった方々には誤解を与える余地があったことを深くお詫び申し上げます。

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いよいよ、幻の第26回日本ファンタジーノベル大賞受賞作決定……。

作品は坂口恭平さんの「徘徊タクシー」に決定しました!!

 

徘徊タクシー

徘徊タクシー

 

 

そして、西崎さんにもいま気になっているファンタジーについてお話してもらいました。 

西崎さん「アメリカの作家ナンシー・ウィラードの野球ファンタジー、すごくノスタルジックで少年まんが的展開も見せる作品、イギリスの1920年代の忘れられているけれど、ある詩人作家の、ファンタジー史に残る名作などの翻訳を考えています」

……というわけで、西崎憲さんの気になっているファンタジーは翻訳作品というかたちで近いうちに読むことができるかも!? 当日、読書会に参加した我々はもう少し詳しくお話を聞きましたが、どちらもおもしろそうな作品ですよ!!(あー、しゃべりたい)

 

本当にお忙しい中、来てくださった西崎憲さん、お店を開けてくださったコエヌマカズユキさん、ありがとうございました!!

そして、ご来場いただいたファンタジーファンのみなさんありがとうございました!!

 

今年もファンタジーをもっと楽しんでもらうための企画を画策したいと思っていますので、レポートを読んで面白そうだと思った方はぜひご参加くださいね。

 

「読書会 ~ファンタジー小説編 もしも『第26回 日本ファンタジーノベル大賞』が(2014年に既存作品から選ぶ形式で)開催されたら~」レポート(前編)

「…これをファンタジーと言っていいの?」と疑いたくなるような、ひとひねり効いたファンタジー作品を世に多く送り出してきた「日本ファンタジーノベル大賞」。25年間続いてきた同賞は惜しくも2013年に第25回をもって休止となってしまいました。

(2016年6月22日追記:2017年6月より公募が再開されることになりました!)

 しかし「休止」というのは微妙な状況です。「打ち切り」では決してありません。休んでいるだけなら、周りで少し大騒ぎすれば眠りから目覚めてくれそうです。そんなわけで「大騒ぎ」とまではいきませんでしたが、ちょっと小騒ぎするイベントを企画しました。

「もしも今年も日本ファンタジーノベル大賞が開催されていたら、受賞していたのはどの作品か?」

…というテーマでおすすめのファンタジー作品を持ち寄る読書会を開いてみたのです。

 当日は『ショート・ストーリーズ』(刊行時に『世界の果ての庭』に改題)で第14回ファンタジーノベル大賞を受賞された西崎憲さんもゲスト参加。果たして「幻の第26回受賞作」はいったいどの作品に!?

 

読書会の前にせっかくなので…『ショート・ストーリーズ 世界の果ての庭』の話

 

  読書会の前に、せっかくなので西崎憲さんに『世界の果ての庭 ショート・ストーリーズ 』の一部をギターで弾き語りしていただきました。音楽活動もされている西崎憲さんならではのパフォーマンスです。読んで頂いたのは「23 垂直方向への旅」、そして物語も終盤近い「52 歌う鳥」。

「23 垂直方向への旅」では捕虜になった戦時中の男が目覚めたところにあった「駅」の様子が描かれます。当時の駅とも現在の駅とも異なるその様相は、いったい何を象徴しているのだろう?と想像が膨らむ部分です。一方「52 歌う鳥」はその捕虜の男がついに死に心を奪われる箇所。その時に現れたまばゆい光を放つ鳥の姿が描かれます。

 西崎さんの読み方は、小説がそのまま歌詞になったかのような音楽的な読み方。役者が感情を込めて読むのとは明らかに違います。しかし、たとえばラップのように、100%音楽としてリズムの中に言葉を押しこんでしまうのでもない。小説家そして作曲家という肩書を持つ西崎さんだからこそできるパフォーマンスでした。

 

『世界の果ての庭 ショート・ストーリーズ 』といえば、読後感がとても不思議な小説。いくつもの評論や小説が作中に登場し、互いに関連しているような、関連していないような繋がりを見せています。お話同士は繋がっているのでしょうか、それとも、やっぱり繋がってはいないのでしょうか。西崎さんにお話を伺ってみると、この小説は「5、6冊の本を同時に読み進めたらどうなるか」を表現しようとしたのが発端だったそうです

西崎さん「3分の1は小説の中に、残りの3分の1は評論の中に、といったように分散した精神状態で読書することがあるでしょう? その状態は悪くないな、と思ったんです。一方、どんなに話が分かれていても、それを読んでる人間は1人。つまり、読者が複数の物語を1つに繋いでいるのです。加えて、この話ではそれぞれの話に必ず『影』と呼ばれる存在が現れます。その存在を通じても、物語同士は1つに繋がっている。もしかしたら、影を登場させる必要はなかったのかもしれないけれど。

 完成度の高い話ほど、物語の終盤で点に収斂していきますよね。問題が解決して終わっていく、でもそれはそれで変な気もするんだよね。だから、物語の始まりも終わりもない、境目をなくした小説を書いてみたの。野心的な作品だったんだよね」

そして、参加者によるおすすめのファンタジー作品発表!!

 まずは言いだしっぺ深森から。日常系ファンタジーが好きな私は、こちらの本を推薦しました。

注文の多い注文書 (単行本)

注文の多い注文書 (単行本)

 

 深森 「当初、アニメ化が前提だった日本ファンタジーノベル大賞。実際にはアニメ化しづらい作品が集まる賞でした。しかし、アニメ化だけがメディアミックスの手法ではないはず。ファンタジーを『物化』する手法の人気ぶりは昨年の世田谷文学館で行われたクラフトエヴィング商會の展示の盛況ぶりを見ても明らか。こういうファンタジーをもっと世の中に推していってもいいのでは? 同書では、小川洋子さんからの注文書とそれに対するクラフトエヴィング商會からの納品書のやりとりでお話が繰り広げられます。書簡というスタイルのユニークさも際立ってます」

 

お次は、「月に吠える」にもよくいらっしゃているという如月悠帆さん。ゴシックカルチャーに深い関わりを持っていらっしゃいます。そんな如月さんの語る1冊目はこちら。

 

  如月さん「『ゴシック小説からゴシック文化が派生した』という位置付けではなく『数多あるゴシック文化の表彰の一つとして文学を位置づけ、その中から相応しい作品を選んだ』というアプローチのアンソロジー。主に近現代のゴシック作家で編まれており、渋澤龍彦山尾悠子といった王道幻想文学の作家から京極夏彦歌人の葛原妙子まで、とてもレンジが広く、外さないチョイス。『自分も知らないうちにゴスの要素を持っていたんじゃないか?』と思わされます」

如月さんにとっての日本ファンタジーノベル大賞は「アナーキーなエンターテイメント小説の賞」。SFだろうがホラーだろうが関係ない! そんな同賞の幻の受賞作に、と推したい本がこちら。

 

黒十字サナトリウム

黒十字サナトリウム

 

  如月さん「吸血鬼になってしまった双子が、吸血鬼にしてしまった人間たちをおんぼろのサナトリウムに集めて住むというお話。設定はこてこてな感じがしますが、このサナトリウムの場所がチェルノブイリのすぐそば、というのがおもしろいところ。吸血鬼といえば、老いずに生き続ける存在。我々が見ることのできない原発の石棺の行く末を彼女たちが見守り続けているのです

現在は絶版になってしまっているこちらの本、プレミア価格がついておりますが、電子書籍で楽しむことができるそうです。

 

続いて、普段俳句を詠んでいるKさん。推薦作はなし、とのことで最近読んだファンタジーのお話に。メアリ・シェリーの「フランケンシュタイン」を青空文庫で読んだそうです。

Kさん「今読んでも新しい部分が充分にある作品。20歳という若年でこの作品を書いた、ということにも驚かされます」

そして、さまざまな読書会などに姿を現しているHさん。こちらも推薦作はなしとのことですが、最近読んだファンタジー作品「An Atlas of Fantasy」は地図好きにはたまらない作品のよう。

Hさん「ホームズ、ラヴクラフトなど架空の世界の地図をまとめた本です。翻訳が出ていないうえに、1970年台の本であるためそれ以後の作品が掲載されていない、というのが痛いところ。誰かが改訂のうえ翻訳してくれたら……」

 

そして、話題はHさんの現在読んでいる小説の話に。

 

汝はTなり: トルストイ異聞

汝はTなり: トルストイ異聞

 

  Hさん「『T』というのがトルストイのことです。トルストイドストエフスキーが格闘するシーン(比喩的な意味でない)があったりする、ちょっとメタっぽい小説です」

 

最後は、本の紹介サイトを運営しているM.Kさん。推薦作はこちら。

徘徊タクシー

徘徊タクシー

 

  M.Kさん「妄想と現実がはっきりしない小説なんですね。小説の主人公も『恭平』、小説の舞台も坂口恭平が住む『熊本』。おそらく自分自身を投影した小説なのだと思います。

 認知症の患者が徘徊する、実際にはない妄想の中の場所。それが『本当にある』と考えた主人公は、認知症患者が訴えるその場所を探し、連れて行く『徘徊タクシー』という仕事を思いつきます。読んでいると、思考がバラバラになり、いろいろな事が繋ぎ直され、現実と妄想の区別がつかなくなってくるんですよね。坂口さん自身『日常がフィクションに見える』ということをおっしゃっています。過ぎ去ったことが粒になって残り、時々フラッシュバックして戻ってくる、と。それを繋いでできたのがこの小説なのだと思います」

 

ここまでが、当日出た推薦作。実は、会場には来れなかったM.Sさんからも推薦作を頂いていたので、こちらのレポートで紹介したいと思います。

 

島津戦記

島津戦記

 

  M.Sさん「ご本人は史実として書いていらっしゃると思うので、ファンタジーとするのは失礼なのかも。でも、すごくファンノベ向きの作品だと思います」

 

未必のマクベス (ハヤカワ・ミステリワールド)

未必のマクベス (ハヤカワ・ミステリワールド)

 

   M.Sさん「村上春樹風でありつつ、経済やITの知見がふんだんに盛り込まれていて面白いです」

たしかに、日本ファンタジーノベル大賞ファンが好きになりそうな設定。こちらも必読ですよ!!

 

さあ、幻の第26回日本ファンタジーノベル大賞はどの作品に!?

結果は後編をお待ちくださいませ。

また、後編では当日話題に挙がった「ファンタジー論」のトピックも紹介します。お楽しみに!

 

 

 

2015年もよろしくお願いいたします。

昨年は、プライベートで激動の一年となりました。

そんなわけで、今年の年賀状は新しく、創造に満ちた出発ができるように、という思いをこめてこんな年賀状にしました。

お話の頭文字をつなげると「初春のお祝いを申しあげます」の文字が現れます。

内容は「小説を書く」ということについてのメタ小説っぽい内容になってます。段々と自分の視点が外へ外へ浮遊していく感覚が伝わってくれればうれしいです。

 

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今年は、東京以外の文学フリマにもいくつか参加できればいいな、と考えています。

プライベートもやっと腰を落ち着かせることができる状態になってきたので、創作活動にも力をいれられるかと。

みなさんに楽しんでもらえる作品を1作品でも多く作れますように。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

第十九回文学フリマ(2014年11月24日)ご来場いただきありがとうございました!

文フリの後、しばらくバタバタしておりまして、ご来場いただいたお礼ができずにおりました。遅くなってごめんなさい。第十九回文学フリマにお越しいただいた皆様、とりわけ当ブースをのぞきに来てくださった皆様、本当にありがとうございました。

 

今回は既刊のみの発売でしたが、タロットを使って『コトダマミクジ 平成二十六年 完全版』の使い方実演的なことをしたり、『文学フリマガイドブック』に掲載があったり(といっても、自己推薦だけどねっ)と、ちょいちょい新しい部分があっての参加でした。実演もあったので、一人ひとりのお客さんとじっくり話せたのが良かったな。

 

原稿から組版、製本、そして販売まですべて一人でまかなうボッチサークルなもんで、「小説家になろう」公式生放送が始まって人足まばらになった時間にあわただしく気になる小説を買いにいきました。いつもは見本誌コーナーの本をすべて初めの1ページ目のところに目を通してみて、欲しい本を決めるのですが(だから、サークル参加していないときにしか文フリで本買えない)今回は幻想小説およびファンタジー中心にばばばっと直感でいくつか買いました。一覧はこちら。

 

『-メビウス戦記シリーズ- ここがソノラマなら、きみはコバルト』黒羊2D

いつもお客さんとしてお世話になっている荻窪ベルベットサンの文庫。

『町外れの再生師』硝子

紙がなくなり、本も消え去った魔法の世界のお話。再生紙、ならぬ再生師が活躍するそうな。

『破滅派 No.010』

テーマは「わかれ」。

『腐れ街の蛇』密丸

架空の都市が舞台のファンタジーだそうです。

『糸雨の残躯 / 歌う繭』篠崎琴子 / 八坂はるの

植物と人間の間に生まれた子、という設定に惹かれて買いました。

『寸志』河村塔王

1~2行の原稿用紙に書かれたさまざまな小説から抜粋されたセリフのみでコラージュされた小説。

『幻想銀座 vol.2』羽根川牧人/吉田岡/Rootport

お隣さん(右側)のブース。魔法系から日常系まで設定さまざまなお話が楽しめそう。

『悪魔の教科書』

著者名がわからずでした。ごめんなさい。お隣さん(左側)のブース。フォントの大きさがリアルに教科書っぽいです。

『十六夜 夏号』『十六夜 秋号』横浜市立大学文芸部

献本いただきました。ボリュームたっぷりです。うらやましい。

 

感想はまた後日・・・アップできたらいいな。

 

今回強く感じたのは全部一人でやるって、本当に大変ということ。既刊のみでも大変さはそれほど変わりなくてバタバタしてしまった。これじゃ作品制作に時間はそうかけられないわけで。いろいろ疑問に感じてきました。というわけで。

…お客様の中に私と幻想小説を書いてくれる方はいらっしゃいませんかー!

(『お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんかー!』っていうので小説家が呼ばれるシチュエーションってない、という話を昔ツイッタ―でしたことあったけど、いまですよ!いま!)

 

次回の文学フリマ@金沢はぜひ参加したいと思っております。またお会いしましょう。

 

 

ヴィジュアル系バンドは現代の歌舞伎役者という仮説

本当かどうか知りませんが、日本に旅行しにきた海外の人のなかには街にニンジャがいないことにがっかりする人がいるみたいですね。それは日光江戸村でお願いします。日本人でもときめくから、間違いないから。

 

前置きはさておき。

 

そんなニンジャが海外から好評な日本ですが、最近「これも海外で人気なのかな?」と思うものがあります。ヴィジュアル系ロックバンドです。日本であまりメジャーじゃないアーティストでも、海外ツアーを何度も行っているバンドも少なくありません。私はヴィジュアル系に疎いので、DIAURAもthe GazettEも知らなかったのですがYouTube見ると海外からのコメントが多くてビビります。(※ただし、日本のミュージシャンって、いま海外の人もよく聞いてくれているみたいで、ヴィジュアル系バンドに限らずコメントが多数ついているミュージシャンは結構います)メンバーが元々いたバンドのことなんかもよく知っているし、本当に好きなんだなぁと思います。

 

日本じゃ「邪道」扱いされているきらいがあるヴィジュアル系バンドが海外の人にこれだけ受け入れられているのってなんでなんだろうなぁと考えていたときに、ふと歌舞伎のイメージが重なりました。歌舞伎も能に対して「邪道」という扱いでした。なんだろう、見た目が派手になると日本人は邪道扱いしたくなるのかしら。

 

そう考えると、ヴィジュアル系バンドが海外の人に人気なのもしっくりくる気がするのです。海外の人は、メインカルチャーから外れて独自の進化をした日本のものが好きなんじゃなかろうか。漫画やアニメとか。

 

ヴィジュアル系バンドは現代の歌舞伎役者である、っていうのは仮説の域を出ないただの思いつき。

でも、

「ゴシックメイクは隈取で、ヘドバンは連獅子だよなー」

なんて考え始めると、結構類似点があるような気がして、面白くてしょうがないのです。今日も

「これは歌舞伎でいうあれだ」

というものを新しくみつけては、ひとりにやにやしています。