フェンスに揺れるスカート

深森花苑のブログです。

サヘルさんが話されていた一市民から見た「イラン」と「イラク」

イランで英雄視されているソレマイニ司令官が米軍の爆撃によって殺害されたというニュースが飛び込んできた。海外では「WWIII」がトレンド入りしているという話も聞く。

国際政治の話は複雑で、ひとりの一般市民だけでなにを思い、なにをすればいいかわからないことも多い。というか、国の権力者同士の話だ。わかったところでどうにもならないことばかりだ。それなのに、怖いニュースばかりが耳に入ってくる。どんな思いでこの事態に向き合えばいいのだろう……。

そのとき、先日、サヘル・ローズさんが登壇されていたイベントでイランとイラクの話をされていたことを思い出した。サヘル・ローズさんについて、バラエティ番組などに出演していたときの顔ぐらいしか知らない人のために簡単に説明すると、この方はイラン出身で、イラン・イラク戦争によって戦災孤児になった過去がある方だ。つまり、中東の戦争の当事者といえる。そんなサヘルさんの話していたイランやイラクの話は、一市民としての向き合い方として参考になるのではと思ったので、まとめてみる。

 

イラン・イラク戦争ではイランとイラクが敵として戦いあった。イラン出身のサヘルさんにとってイラクは両親を殺した敵国だが、今回、決意してイラクに行ってきた、というのがイベントで話していたおもな話だ。

イラクを憎んではいけないよ。人を民族で見てはいけないよ。そしていつか自分で隣国を見てきなさい」サヘルさんがお養母さんから言われたその言葉を現実にするための旅だった。

 

■加害国はその国で出身が言えなくなる

イラクは日本の約1.2倍の面積があるが人口は日本の半分以下。4000万人を切っている国だ。戦争で使われた劣化ウラン弾の影響で、白血病は日本の約2倍の発症率になっている。

イラクに降り立って、向かった施設の受付の人はサヘルさんにも優しかったそうだ。でも「子供たちにはイラン人と言わずに接してくれ。傷つけてしまうから」と言われてとてもショックだったそう。「自分の出身が言えなくなることってとても怖いことだと思った」とサヘルさん。

■難民キャンプは「夢を持ったら悲しい」と思う子供ばかり

次にサヘルさんが向かったのがイラク国内にあるイランの難民キャンプ。サヘルさんにとっては同郷の民が暮らしている場所、ということになる。

難民キャンプは整備が進んでいたけれど「本来ここにいなかったはずの人々がここにいるのが当たり前になってしまうことが怖い」とサヘルさんはおっしゃっていた。言葉も文化も違う国、自分の家じゃない住処、そこでの暮らしが「普通」になってしまう怖さ……。

「イランに戻りたい?」と聞くと「家はないし、咲いていた花も焼け野原になってもうない。戻っても仕方ない」という言葉。「夢はある?」と聞いても「夢なんか持ちたくない。夢を持ったら悲しくなってしまう」という子供ばかり。この難民キャンプで暮らす子供たちは戦争さえなければ自国で得られたはずの可能性が潰されてしまっている。

 

でも、そういう難民キャンプの子供たちは、カメラを向けると、とびきりの笑顔を見せてくれることが多い。手紙の最後には「I love you.」。なぜか。

外とのつながりを持ちたいからだ、とサヘルさんは言う。そうするしかこの現状を脱する手段がないから。

サヘルさんが孤児院にいたときも「外の人が来たら笑いなさい」と教えられたそうだ。だから、こういうところの子供たちはみんな笑顔の作り方がうまい。なかには歯を見せずに口を引き結んで笑う子もいる。こういう子は内心、相当無理をしているそうだ。心のケアをしないと壊れてしまう、SOSを発している子たちだろう、と。

子供たちの中には、銃で敵を撃つゲームに夢中な子もいる。でも、その後ろで、親が悲しそうにそれを見ている。子供はその行為の意味がわからないからできてしまうのだ。

そういうゲームを非難するつもりは私はないけれど、この「子供」の感覚が私自身を含む世界の戦争が起きていない大多数の地域の人の感覚なんだろう。

サヘルさんが「花火はきれいだけど音がどうしてもだめ」と以前言っていたことが頭をかすめた。

 

イラクの兵士の家を訪ねる

サヘルさんがドホークという地域を訪れたときのこと。

そこにはISに家族を殺されたり、性的虐待を受けた子だったり、シビアな状況に置かれている人が多かったそうだ。なかにはISに目の前で息子を殺され、息子の写真をずっと携えていたという人も。精神的に壊れてしまっている子ばかりで、サヘルさんも声をかけることさえできなかった、と言っていた。「自分はお養母さんに差し伸べた手を取ってもらって今があるのに、自分は誰の手も取ってあげられなかった。無力だ」と涙を落されていた。

手を取れる人がヒーローなのであって、だいたいの人は手を取れないのが普通なのだけど、救われたはずの人にさえ戦争は苦しみを与えるのだな、と私は思った。

 

ここで、イラン・イラク戦争の際、イラク側の兵士をやっていた人にサヘルさんは会う。

かつての兵士はサヘルさんに「戦いたくて戦ったわけじゃない。フセインから家族を殺すか敵国の人を殺すか選べと言われてやったことなんだ」と語った。

一度人を殺してしまうと、感覚が麻痺してしまう。そのあとはなし崩し的にやってしまった。

それを知って、サヘルさん自身、もっと悩みが大きくなったところもあったという。それでも、知れてよかった、と話されていた。

 

こうした戦争では宗教がよく利用される。自爆テロも別にコーランにそうしろと書いてあるわけじゃない。戦争をしたがってる人が宗教を利用しているだけのことなのだ。

 

イラクの医療費事情と支援の在り方について

イラクは本来、医療費が無料な国。ただし、病院にない薬は薬局で買わなければならず、そういったものは月10万円ぐらいかかってしまうこともあるそうだ。

このイベントで支援の対象としたかったのもこうした高額な医療費がかかってしまう人たちだった。

サヘルさんのスタンスとしてすごいな、と思ったのが、こうした人たちを前にして「支援に慣れさせない」支援を選択したことだった。だから、医療費は支援するけれど、生活費は支援しない。医療費の支援も3か月だけ。その間にちゃんと仕事をみつけてほしい。手を出したら支援が転がってくる、そんな生活に慣れちゃだめだって力強く訴えていた。

 

かつて当事者でもあったサヘルさんはどういう支援を求めているのだろう?

イベントで繰り返し話していたのは「戦地としてではないイランやイラクのことを知ってほしい」ということだった。出身地を言うと「大変だったね」と必ず言われる。それしか自分の国のイメージがないのはとても悲しいことだと話されていた。だから、もっと文化を知ってほしい。特に、食べ物は文化を知るいいきっかけになる、と。

たとえば、イベント会場でふるまわれたライス・プディング。イランにもイラクにもある郷土料理だけど、作り方が各地で違う。イランで作られるものは米に対して2倍の量の砂糖、サフラン、バラ水、バターを使って作る。ナッツ等を使っていろんな模様を描いて飾るらしい。

 

イランのものは基本的に甘い味付けが多いそうだ。

結婚式でも砂糖をまき、誓いのキスのかわりに互いの小指にハチミツをつけてなめさせあう、というのをやるらしい。「もっと甘い人生になりますように」という願いをこめて。

一方のイラクは脂っぽくてしょっぱい味付けがメジャーらしい。

 

「こういう話を聞くと、みんな『支援しなきゃ!』ってがんばってしまう。でも、それってとても疲れることだから、無理しないでほしい。支援って無理してまでするものじゃないから。それよりも、まずは知ってほしい。そして、それをいろんな人に話してほしい」

イベントの最後のほうでサヘルさんが言っていた言葉だ。

サヘルさんの言葉はどれもいい意味で麻痺せずに、ごくごく普通のことを求めていた。

煽るようなニュースがこれから増えていくかもしれない。

でも、それに惑わされずにごく普通の一市民ができることって、サヘルさんが求めていた「その国の文化を知る」ことから始まるんじゃないかと私は思う。