フェンスに揺れるスカート

深森花苑のブログです。

本当はいま、ブログを更新している場合ではない。しかし、抱えている案件は電車のなかでしゃしゃっと更新できるものでもなく、それならばこうしてブログでも更新しているほうがいいのではないかという結論にいたり、これを書いている。星占い的にも、今の気持ちを書き残しておくと後々いいらしいと聞いた。本音は少し吐き出してすっきりしたいだけなんだけど。

 

世の中では悪属性付与のテンプレが流行っている。普段、悪と無縁のキャラはここぞとばかりにお菓子を食いまくっている。

私は昨日、冷蔵庫に放置されていたバレンタインのチョコの残りを夜食にして全部食べた。ピスタチオのガナッシュが特に美味だった。誰が悪、というものではないのだと思う。ただ、年を取るということは、少しずつ悪に近づくことなのかもしれない。

 

去年のなんやかやで、私は私から欠け落ちたものの正体をようやく知ることができた。それは、私は姉である、ということだった。私はそれほどブラコンではないと思う。だから、姉である、というアイデンティティーが失われたことで自分がここまで壊れていたことに十年以上気がつかなかった。

失われたものに名前がつけば、それ自体はあってもなくてもなんとかなる。実際、今の私はすごく元気だ。一番呑気に、楽しく暮らしていた二十歳の頃を思い出す。悪夢から目が覚めて、あの辺りの時間と現実が地続きならいいのだが、あいにくそうはいかない。自我が眠っていたような状態であったとはいえ、時間の経過によって擦れたものはあるし、元々の私がどんな人間であるかを覚えている人ももはやいないかもしれない。そうすると、私は私を取り戻したといっても、周りの人間からすれば「誰だ、おまえ」であるし、実際のところ元々の人間とも違うなにかになっているので「誰でもない」というのが本当のところだろう。

 

この前、夫が旅行に行って一人になったときは自由だった。某校正会社を訪れたときの心地よい静寂を思い出した。好きな時間に食べ、風呂に入り、寝る。普段と同じようであれ、あれで存外気を使っていたことに気づく。もう一度一人暮らしをしたらどんな生活になるだろう。それが実現するときの状況など考えずに想像する。それはどんなに自由なことだろう。

 

糸の切れた凧のようだと思う。

私はもう一度一人になろうとしているのかもしれない。

ふわふわ不安定で、きっと周りで見てる人間もひやひやしてる。

その紐を引っ張る誰かを求めるのでなくて、まず自分自身であるように、私はもう一度、失われた時間の根に立ちたい。