アニメ『プラネット・ウィズ』10話時点での今後の展開予想のようなもの。
このエントリーは、コメントから読むのが一番いいと思います。
なにが起きたかというと、10話が最終話だと勘違いして「ハッピーエンドっぽく終わってるけど、そうじゃないんじゃないか」という考察書いちゃったんですね。
すっとこどっこいにも程がありますね。
というわけで、以下の記事は10話終了時点での今後の展開予想のようなもの、としてお読みいただければ幸いです。
=======================
うがった見方であると信じたい。でも、こういう解釈もできるのでは、と思ったので書いておく。なお、ネタバレ不可避なので、最終回まで見てから読まれることをお勧めする。
私がこの考えを持つきっかけとなったのは「結局『竜』との戦いってなんだったの?」という疑問からだ。あれだけ作中で竜が、竜が、と言っておきながら、肝心の竜との戦いは一切描かずに封印派と穏健派の戦いで終わったのはなぜなのだろう。作品として、それ一番やっちゃいけないことじゃないの? そこまで思ったとき、別の考えが頭をよぎった。
あえて『描かなかった』のではないか。
そのとき、このアニメのキャッチコピーが頭をもたげた。
『幸せだったことを俺は忘れない』
なぜ過去形なのか。
疑問はまだある。「楽園の民」って結局なんだったの?
しかし、これについては、最終回の最後のほうで答らしきものが示される。ラストの大人になった宗矢の姿は「楽園の民」そっくりだ。つまり、未来の宗矢が楽園の民だったということ。それなら、楽園の民が宗矢にしか見えなかったことの説明はつく。
これを手がかりに「竜」についてもう少し考えたい。
作中で竜と呼ばれたものはいくつかある。
1)宗矢の故郷を滅ぼした竜
2)暴走した晴海
3)竜造寺
4)4年後に月の裏から現れると予言された竜
このうち、2)と3)は宗矢が倒している。
しかし、銀子ははじめに宗矢を救ったとき、
「この子は竜さえも許せる存在にしてみせる」
というようなことを言っていたはずだ。それなのに、2)と3)の竜を宗矢が倒しても銀子がそのことについて苦悩するさまは一切見られなかった。
つまり、銀子が指す「竜」とは4)の竜――。これから来る竜のことを指しているのだとわかる。
ここで、3)の竜――竜造寺を倒した時、楽園の民が出現したことを思い出してほしい。なぜ、未来の宗矢はその光景を沈痛な面持ちで見つめなければならなかったのか。
そして、最後に宗矢が立ち上がるとき、楽園の民が宗矢に「君に竜を倒してほしい」と言ったのはなぜなのか。
それは、未来の宗矢が、竜に対して非常に複雑な感情を抱いているからでは?
つまり、未来の宗矢が竜を許せなくなるほどのなにかが起きたからなのでは?
作中で竜は「暴走する正義感」の象徴として描かれてきた。
もしも、宗矢が大切な人を竜によって喪ったとしたらーー。
宗矢は竜を許すことができるのだろうか。
宗矢自身が復讐の鬼と化し、竜になることはないのだろうか。
『幸せだったことを俺は忘れない』
このキャッチコピーは、大人になった宗矢が竜と対峙したときの言葉のように思えてならない。
以上、ひねくれ者によるアニメ『プラネット・ウィズ』最終回の考察でした。