フェンスに揺れるスカート

深森花苑のブログです。

私と4人のカウンセラー

「心のお医者さんに一度診てもらったほうがいいのでは?」と何人かの知人に言われた。心のお医者さん、ではないが、カウンセラーには今まで4回お世話になったことがある。私はその経験から、医者にかかればなにもかも解決する訳じゃないことを知っているので、あまり気が進まない。

 

一番初めにお世話になったのはたしか高校生のとき。

警察主導の電話相談みたいなもので、「カウンセリング」と銘打たれてはいたが隠れてる被害者を探す目的で設置されたものだったのだと思う。電話に出たのも取り調べを普段はしているのではないかと勘繰りたくなる高圧的な男の人だった。

話しても話しても伝わらない無力感から涙が止まらなくなったのだが「昔のことを思い出して泣いているのでしょう?」とトンチンカンな回答が返ってきて話す気持ちも萎えて適当に返事して電話を切った。

 

次は高校三年生のとき。市区町村の福祉として行われているカウンセリングに行った。カウンセラーは老齢の穏やかな女性だった。

私がカウンセラーをめざしてるんです、と初めに言ったからか、物見遊山で来てると思われたようで、話は聞いてくれるものの真剣さや深刻さはなかったし、時間も毎回15分とかそんなものだったと思う。

何回目かの面接で、私が「一週間単位で定期的に気分がアップダウンする」ということを言ったら、カウンセラーの態度が急変した。どれくらい気分が落ち込むのか、いいときはどんなことをするのか、買い物で買い込んだりしてないか。細かくさまざまなことを聞かれた。

後になって考えると、このとき、私は軽い躁うつ病にかかっていたのだと思う。周期的な気分の変化は躁うつの典型的な症状だ。

でも、そのときはそんなこと知らなかった。

私は「躁」状態が少し長く続いていたときに、カウンセラーに「もう大丈夫そう」と言ってカウンセリングの終了を申し出た。カウンセラーは心配そうな顔をしながら、私の申し出を承諾した。

それからしばらく経って、うつが戻ってきたが、私はカウンセリングを再開しようとは思わなかった。受験勉強の進行が思わしくなかったからだ。

 

かなりぎりぎりではあったけれど、なんとか志望校に入ることができ、大学時代は平和に過ごした。先輩後輩に恵まれ、居場所ができたことで、躁うつのやり過ごし方も身につけ心身共に充足した四年間だった。カウンセラーになる夢は院生の姿を見て「なんか違う」と思うようになってあっけなく潰え、小さい頃からの小説家になる夢が再燃した。大学の人間関係でも一悶着あったが、誰しも人生のどこかで一度は経験する範疇のものだと思うのでここでは割愛する。

 

3人目のカウンセラーと出会ったのは、家族を喪った後。自分一人で抱え込むことが困難に感じたので、会社の健康保険組合で実施しているカウンセリングを利用した。初めは受付、ということで電話相談だった。

正直、今まで会ったカウンセラーのこともあって、あまり期待していなかった。電話相談も、涙ひとつ流さず、淡々と状況を伝えた。

「あなたは、お姉さんとしてなにも力になってあげられなかったのがつらいんですね」

10分ぐらいで私が状況をざっくり語り終えた後に、電話受付のカウンセラーはそう言った。

私はその言葉を聞いた途端、心の中の言い知れなかった気持ちがするっと器に入った気がした。そうだったんだ、自分じゃ全然気がつかなかった。

 

今のこの状況を変えられるかもしれない。

微かな希望を抱いた私はそのまま面接の予約をした。面接はそのカウンセラーとは別の人になるという。

4人目のカウンセラーは大人しそうな、あまり自分と年の変わらない女性だった。

ここの面接は毎回60分で、家族を喪ったこと以外にもたくさん話した。しかし、私がその面接で導きだした結論は「起こったことはしょうがないから受け入れるしかないよね」という、放っといても出るような結論で、行き止まりで、これ以上カウンセリングを続けても先に進めそうになかったので、私はそこでカウンセリングを中断した。

思うに、このカウンセラーの方は、相談者を幸せにしたい、という気持ちが希薄だった気がする。

雲の向こうが青空でなくて更に厚い雲であっても表情を変えずに進ませてしまうのだ。ただ、カウンセリングというのはそれぐらいのタフさがなければ、たくさんの相談者の話など聞けたもんじゃない。だから、仕方がない。仕事でやっている以上、それは仕方がないことなのだ。

 

以上が今までに会った4人のカウンセラーの話。

時間こそ短かったけど、3人目のカウンセラーが一番自分にとっては助けになった。

 

こうして振り返ってみたかったのは、私の悩んでいることは、本当に人に相談しなければ、人に助けを求めなければならないほどのことだったのか、わからなくなってきたからだ。いつも誰かに助けを求めて、依存しているだけのような気がする。依存して安心して、その先にいなきゃならないはずの自分がどこにも見つからない。相談できるだけ、社会的に恵まれた環境にいたとも思う。なのに、解決できない。それはやっぱり私が悪いからなんじゃないのかな。