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フェンスに揺れるスカート

深森花苑のブログです。幻想小説を書いています。

『海よりもまだ深く』はワナビと家族を巡る物語なのか

レポート

是枝裕和監督の『海よりもまだ深く』を観てきました。とても味わい深い作品だったので、自分の考えをこちらにも記録しておこうと思います。

 

キャッチコピーは「夢見た未来とちがう今を生きる、元家族(元家族に傍点)の物語」

予告編を見た時と印象の違う映画っていうのはよくあるものですが、この映画はそのずらし方も秀逸だと思ったのでそこから記したいと思います。

予告編では、良多(阿部寛)が作家崩れの探偵をしていること、家族は既に離婚していることが語られます。

「いつか書く、いつか書く」といった趣旨の言葉を繰り返しながら、ギャンブルにうつつを抜かしている姿はいわゆる「ワナビの成れの果て」といった感じでいかにも「現実を受け入れられない」ことが問題であるかのような描かれ方をしています。

予告編でも良太が競輪の結果に「勝負をしろよ、勝負をよぉお!」と怒るシーンが出てきますが「その台詞、自分に言ってやったほうがいいんでない?」とこの姿を見ただけでも思ってしまいます。(そう思わせちゃう、この迫真であるがゆえに笑いを誘う阿部寛の演技がまたすんばらしいのです)

キャッチコピーからも、この現実を受け入れる過程が映画の主題となるのかな、と予感させられました。

しかし、これが見始めると、どうもそれだけじゃないぞ、ということに気づかされます。

 

明言されない父と母の過去

映画は良多の父が他界し、葬儀諸々が済んで日常へと帰りつつある日の一コマから始まります。良多が実家を訪れると、母・淑子(樹木希林)がこんな気になる台詞を吐きます。

「あんたは嘘を吐くのが下手なんだから。お父さんと違って」

逆説的に、お父さんは嘘が上手かった、ということになります。また、父の遺品についてはそのほとんどをすぐに捨ててしまった、という淑子。これはもしや、遺品整理で亡き夫の浮気の証拠を見つけちゃったパターンですね!?

それがあってのことなのか、淑子は同じ団地(※ただし、賃貸ではなく分譲)に住む紳士に熱を上げている様子。生前は夫の借金のために頭も下げさせられたようで、かなり苦労した様子を考えると、まぁ仕方ないことなのかなぁなんて思わされます。ところで、このお父さん、何してた人なんだろう? 良多と同じような感じの人で親子で似ちゃったのかな? ……なんて思っていると、映画中盤で驚きの事実が明かされます。どうやら、良多の父はそのままうまくいっていれば中目黒あたりで豪邸が買えたようなお金持ちだったみたいなのです。え!? まじっすか!? なんでそこからこの団地暮らしになっちゃったんですか!? ……この点については(少なくとも映画1回見た限りでは)詳しく語られておらず、さまざまな台詞の断片から推測するしかありません。良多の家の変遷については、以下のような描写があったと思います。

・小さい頃は台風による川の増水でやばくなるような家で、よく隣の教会に逃げ込んでいた(練馬の家)。

・今の家(清瀬の団地)に引っ越してから台風が来ても心配することはなくなった。

気になるのは、この辺りの話をする際に淑子が「今の団地に越して、もう心配しなくていいと思ったのに」、「こんなはずじゃなかった」と繰り返していることです。夫の借金はこの家に引っ越した後に新しく生まれた問題だったのでしょうか。

少なくとも練馬の家よりはいい環境でありそうな清瀬の団地に引っ越した時点では、家庭は上向きだったはず。夫の借金の原因は……。妥当なところでいくとバブル崩壊かな、と。大金が失われた説明はこれでつきます。しかし、良多の父が質屋に入れて借金していた額を考えると2~3万円の頻繁な出費をしていたようにも思えます。私は、これが浮気相手に流れていたお金だったように思います。

淑子は「女の人が仕事を持っていると(夫婦生活の)我慢が効かない」などの壊れた夫婦関係に異を唱えなかった自分を正当化する発言をそれまでに何度かしていますが、その中でもひときわ印象に残るのが映画タイトル「海よりもまだ深く」のフレーズが出てくるシーンでの一言です。

「そんなに人を好きになることなんてないほうがいいのよ。そんなに好きでなくたって、みんな普通に、幸せそうに暮らしているのよ」

ラジオからはテレサ・テンの「別れの予感」が流れていて、そのサビのフレーズにかぶせて淑子はこの台詞を言います。すでに妻子ある人への、抑えきれない、狂おしいほどの恋心なんてないほうがいいのだ、と、淑子は言っているように思います。

 

台風はなんの象徴なのか

そんな良多の両親のいろいろと、別れた妻と子とのいろいろが描かれながら物語は佳境に。そのクライマックスの舞台は「台風の夜」です。

あれ? そういえば台風ってさっきも出てこなかったっけ?

そうです、淑子が「もうこれで安心だと思ったのに」という発言をしたのも台風に関連しての発言でした。

他にも良多が息子の真悟に、台風の夜に団地の滑り台でおやつを食べて過ごしたことを自慢していたり、なによりラストシーンが台風でボロボロになったたくさんの傘を前にたたずむ良多でした。

台風ってなんの象徴なんでしょうか。

ここで注目したいのが『海よりもまだ深く』の英語版タイトルが"After the Storm"だということです。テレサ・テンの「別れの予感」のワンフレーズに対応しているのが"After the Storm"だと。これを知って、私は映画の主題にようやく気が付きました。それまで映画のタイトルがあのタイミングで出てきたこともいまいち腑に落ちませんでしたが、台風のような「避けることのできない人生の一大事」の後をどう過ごすかということこそがこの映画の主題だったのだと考えれば納得です。ワナビとか、離婚とか、関係なかった。もっと、誰にでも起こりうる事を描いた映画だった。

 

ここで、もう一度、なぜ予告編では「しょうもないワナビが現実を受け入れるためにあれこれ頑張る物語」と思わせたかったのか考えてみます。多くのまともな大人は、予告編の良多を見て「俺はここまでひどくない」と思います(※私は自分のことのようで気が気じゃありませんでしたが、話が逸れるのでその話は割愛します)。だから、安心して映画を見られるのです。これが台風のような、避けることができず、誰もがその害を被るようなものだと思ったら、見るのをためらってしまうでしょう。

 

ラストシーンでは、台風によって壊れた傘がいくつも転がっている姿が描かれています。台風の後、なお強く立っていられるかどうか、というのはさして重要なことではないのでしょう。強く立っていられたのは、強かったからではなく、ただ単に運が良かったから。そう、まるで宝くじが当たるような確率で。ワナビだとかギャンブル好きだとか台風が来る前にどんなスペックだったかなんて本当はあまり関係ないのかもしれない。だって台風はそんなスペックなんておかまいなしで、いつ誰のところにもやってくるものなのだから。

「こんなはずじゃなかった」の騒乱の後に、何を思うか。

それがラストシーンであることからもわかるように、答は観客ひとり一人に託されているのでしょう。

この作品は、ある種の「震災後」を語る映画でもあるのだと思います。

 

他にも、姉・千奈津の不穏な動きとか、良多の同僚で後輩の町田のいい奴っぷりとか、話したいことが文字通り湧き出る映画なんですが、長くなりましたのでこの辺で。最後まで読んでいただきありがとうございました。