海原純子さんの「人生相談」の回答にみる後悔の本質
読売新聞「人生相談」での海原純子さんの回答
もともとの記事は2010年4月16日の読売新聞に掲載された「人生相談」だったそうです。(ソースわからなかったので図書館行って調べました。)結構前の記事だったのですね。
Twitterでまわってきた、ペットにまつわる後悔に悩む女性に対して海原純子さんが行った回答があまりにすばらしくて、開眼するような思いがしました。
記事の転載行為はしたくないので、興味のある方は上記の記事を図書館かなんかで読んでもらうとして、ここでは相談内容と回答の要旨だけを述べることにします。
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相談者の女性は、10年余り飼っていた猫を喪ったばかり。
重い病気にかかった猫に手を尽くしたものの、飼い猫は苦しみながら逝ったそうです。
猫が元気だったときは猫になぐさめてもらったこともあったのに、私が最期に猫にしたことといえば猫を苦しめただけなのでは、と相談者は後悔の念が絶えない様子。
猫のために、私が今できることはないか、というのが相談の内容です。
これに対して、心療内科医の海原純子さんは「後悔は遺された者の宿命」と回答されています。
どんなに完璧に世話をしたとしたとしても、人は後悔するもの。別の選択肢を選んだとしても、あなたはきっと後悔したはず。それならば、あなたの選んだ道が最良かつ唯一の道だったのだ、と。
最後は、あなたも生前の猫になにも求めなかったでしょう、と前置きしたうえで「あの子も天国で言ってますよ。そのままでいいよ。十分だよってね。」と締めくくっています。
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この回答は後悔の本質をとても的確に突いていると思いました。
そもそも後悔は3つの条件がそろってはじめてなりたつものです。
1) 受け入れがたい不幸な現実があること
2) 自分自身は100%の実力を発揮していない(と思っている)こと
3) 今から努力しても結果が覆らないこと
フローチャートっぽくしてみると、こんな感じでしょうか。
結果は覆らないのに、もっと良い選択肢があったように感じて不幸なのが後悔なのだ、ということがわかります。ということは、ある意味後悔も「全力を尽くした」結果なのでしょう。海原純子さんが「最良かつ唯一の道だった」とおっしゃっているのもこうしたことを指していると思われます。後悔とは、自分が最善を尽くしたと認められない挫折経験なのです。
たとえ過去に戻れても……『まどか☆マギカ』ほむらの地獄
後悔しているときに人は「もしも時間を巻き戻してやり直すことができたら」と思うものです。
しかし、何度時間を巻き戻してもうまくいくとは限らない、ということを描いているのがアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』の暁美ほむらのエピソードです。
彼女はある後悔の想いを抱いており、過去に遡る力を得るのと引き換えに魔法少女になっています。しかし不思議なもので、これが何度過去に戻ってもほむらの望む結果にならない……。何度も絶望を経験している分、たった一回後悔するよりもこちらのほうが地獄かも。
現実の世界では人生は一回きりですが、たとえ何度も過去に戻れたとしても後悔の想いを抱えた今以上の結果は得られないものなのかもしれません。
後悔を受け入れるということ
こうすると、後悔から立ち直るために必要なのは、自分の選択が最善だったと認めることにあるように思います。環境、性格、習慣、タイミング……もっとなんとかなるような気がしてしまうけれど、それも自分に付随する制約の一部。制約を別のかたちに変える努力は、新たな別の後悔を生む種にもなりかねません。「そのままでいいよ。」というのは相談者の今を肯定する言葉であると同時に、これから後悔をしない最短ルートでもあるように思います。
おまけ
このエントリーを書くために海原純子さんの「人生相談」をいくつか読みました。
そうしたら、ペットロス関連の「人生相談」だけでも今までに何度も書かれているのですね。
人の悩みや苦しみに同じものはないと考えてそれぞれに向き合った結果、まるで自分が体験してきたかのような親身の回答を書けるようになるのだと思いました。
それと、今回、記事の転載というよろしくない方法でこの記事の存在を知ったんだけれども、こうした共有のルールもあまり現代になじまなくなってきている気がします。SNSなどでの共有はOKにするかわり、アップするほうも拡散するほうも著作権を持っている人に1円ぐらい強制的に徴収される、みたいなルールにすれば、安易な転載は減るし、良質なコンテンツがより多く流れるようになるし、著作者も損しないしでいいことづくめのように思うんだけど……無理なんだろうなぁ。