フェンスに揺れるスカート

深森花苑のブログです。幻想小説を書いています。

配達人のいない世界

 物を送り届けるために人を遣るようになったのは、いつ頃からなのだろう。

 贈り物の歴史は案外古く、農耕が根付き始めた頃にはその原型が既に存在していた。神様へのお供えというかたちで土地の統治者に農作物を納め、神様からのお下がりとしてその農作物を土地の者で分け合ったのだ。贈り物の反返しの習慣もこのあたりが起源だという。

 小さなコミュニティ内での主従関係そして円滑な人間関係を築くために行われていた贈り物が、やがてコミュニティ同士の主従関係の明示やコミュニケーションの為に行われるようになったことは想像に難くない。コミュニティ同士の権力争いが激しくなり、とても統治者がその場を離れられないとなったときあたりが物を送り届ける遣い、つまり配達人の誕生した瞬間かもしれない。遣隋使、遣唐使あたりは古代の日本でもっとも有名な配達人、とも言えそうだ。

 

 時は変わって現代。配達人を遣るのは自分がその場を離れられない権力者だからでもなんでもなく、ただ贈り物を届けるためだけに現地へ向かう労力も金も惜しいからだ。そう考えると、数百円~数千円で全国に荷物を運んでくれる運送会社ってなんてありがたい存在なのだろう。

 世はそんな配達人にとってつらい時代に突入しつつある。荷物を届けられないからだ。荷物の再配達率は約20%にのぼり、ニュースの誌面を賑わせた。贈り物の届け先に主はおろか誰もいない時代。ジーザス。

 

 再配達はコストにしかならないので、再配達率が下がらないなら、と宅配業を諦める人も出てきているらしい。もしも、配達人がいなくなってしまったら……とこのあたりで一度思い浮かべておくことも必要だろう。

 配達人がいない、ということは、すべての人の物的・能力的資産がその人に固有する、ということだ。俺の物は俺の物。お前の物はお前の物。それ以上でもそれ以下でもない世界が訪れることになる。

 農家の売り物にならなかった芋は土の中で腐り、売り物にならなかった芋で暮らしていた作家志望の貧乏人は飢えに苦しむことになるだろう。自分の身の回りにあるものでなんとかしなければならないことが当たり前になるから、多種多様な商品がない地域の者や自給自足する能力のない者は生活の一部にひどく不自由を強いられるようになるだろう。

 他人との関わりだって希薄になるかも。関わることによって得られる交換のメリットがなくなってしまうから。

 物流は血液のようなものだ、と誰かがいった。物流が滞る、ということは社会の新陳代謝が不活発になる、ひどく不健全なことなのだ、と。

 

 配達人に関しては、近年、こんな問題も起こっている。配達人を装って押し入る強盗や押し売りが発生しているという問題だ。だから、覚えのない配達が来たときは居留守を決め込むことにしている人もいるという。

 血液に潜伏する病気があるのと同じようなものだな、とも思う。

 

 

 今日のBGMは「動くな」と言っているのに身体が動き出すグルーブ感でいっぱいのMETAFIVE「Don't Move -Studio Live Version-」でした。

 

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